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Message
ウタウ チカラ
 5.Sep.2004 (Sunday)、19:00PM、MINAMI-AOYAMA MANDALA。
 Hanako Oku First Solo Live "All About Hanako Oku"

 灯りを落とした中、登場した奥華子はグランドピアノの前に座ると、ひと呼吸置いて、あの澄んだ声で唄い始めた。ピン・スポットが当って、髪が金色に光る。
 僕は、そんな奥華子の歌声を心地良く聞きながら、背後の台に置かれたグラスを見ていた。それは、ライブの途中で彼女が喉を潤す為に置かれた、水の入ったグラスだったが、そのグラスもスポットからこぼれた光が当って輝いていた。白いストローのささったそのグラスの輝きに、僕は頭の中でカメラのファインダーのブライトフレームを思い浮かべ、重ねていた。
 グランドピアノ、エレピ、奥華子の歌は2つのパートナーの間を行き来しながら流れ続ける。
 奥華子の楽曲やMCを聞きながら、僕の脳裏をよぎっていたのは、正しく「あの日」の光景。
 そう・・・誰もがそれぞれの「あの日」を思い浮かべていたのだろう。
 歌声と奥華子の笑顔の向こうに見えるもの・・・。過ぎ去った日の記憶・・・切ない想いと愛しさ・・・。
 グラスの水が減る度に、沸き上る想いが溜まって行く・・・ステージライトに照らされた奥華子の髪が揺れる度に、愛しさが増して行く・・・。
 奥華子の曲で蘇る「想い出」は聞く人それぞれに違う。でも、そこで震わされる琴線の波動は同じ・・・。「あの日」言えば良かった事、伝えれば良かった事・・・忘れたく無い想い出、忘れなければいけないあの人・・・。
 グラスの水が減る。また想いが募る・・・。
 途中、奥華子が口を開く。
 「すいませんPAさん。私の声、もう少し下さい。」
 フォールド・バック・スピーカーの音量が少し小さかったのだろうか。それはライブでの自分の声を確認する為の、「はね返り」に過ぎないが、それはおそらく「奥華子」というアーティスト自身の持つ記憶も感化する筈。
 限られたスペース、限られた空気を共有するライブハウスのハコの中で、「奥華子のウタ」をファンダメンタルにして奏者の・・・そして観客それぞれの想いが交差する。
 奥華子の「ウタ」には、記憶の底から「想い」を沸き上らせる「チカラ」がある。僕らは彼女の「ウタウ チカラ」の上に「あの日」の蜃気楼を見る。

 グラスの水は休憩の間に、再び注がれた。それは、僕らが思い出すべき「あの日」が、まだある事を示しているんだ。
 思わず笑ってしまう様なMCに導かれた幸福な気持ちも、彼女自身が「暗い歌」と言った曲も、震える琴線はすべて「あの日」に繋がって行く。
 また、グラスの水が減る。琴線が共鳴する。
 他のアーティストの楽曲でも、「あの日」を思い出させてくれる楽曲は多い。けれど、それは「そのアーティストの」というよりも「その1つの楽曲」に過ぎない。奥華子の楽曲の様に、1曲残らず総べての曲にその「チカラ」があるアーティストは少ない。

 2時間程のライブが終わって、奥華子が退場し、灯りが点く。
 あのグラスに残った水は、また次の機会へと繋がって行く。想いと共に。
 僕らは奥華子というアーティストの「ウタウ チカラ」を糧に、生きて行く。
2004.9.8書く
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